もしかすると地理学の時代なのかもしれない

今も昔も、日本国内の書店で地理学の書籍の内容を確認するのは面倒な作業です。もちろん、それは図書館でも同じです。日本十進分類法に従った分類では、地理学書は様々な棚に納まることになります。

欧米でも状況は同じようです。

かつて、地理学的な説明における方法論が議論され、百家争鳴と地理学の理論が称された頃、欧米の書店では地理学書のコーナーを見つけることは容易だったということを聞いたことがあります。

しかし、あれから四半世紀以上過ぎた今日、その状況は大きく様変わりしてしまったようです。先日、大学の恩師からお聞きした話では、あのイギリスでさえ、地理書は数学書コーナーの一角に置かれているような状況になっているそうです。

ところが、最近おもしろい変化が起こっていることに気づきました。もちろん、出版される数も少ない地理学書を見つけにくい状況に変化はありません。

では、どんなことが変化しているのでしょうか?

それは、欧米の地理学者の著作が地理学関係者以外の手によって日本語に翻訳されるようになってきているということです。しかも、そうした書籍が新聞などの書評欄で注目されている場合が多いのです。

僕もこのブログの中で地理学者による書籍のことを何回か取り上げてきています。

たとえば・・・

ゼロ年代の地理学 
ジャレド・ダイヤモンド氏による書籍「銃・病原菌・鉄」

記念碑の語るアメリカ
ケネス・E.フット氏による書籍「記念碑の語るアメリカ―暴力と追悼の風景」


地理学関係者の翻訳本も紹介していますが、なぜかあまり人気がないように感じます。確かに前世紀後半の「空間論的転回」以降、社会学によって空間が注目されることになり、地理学の隣接諸科学でも地理学者の論考が重要性を持つようになった訳ですが、それはあくまでも学者の世界の話です。


でも、今世紀になってからは、「銃・病原菌・鉄」や記念碑の語るアメリカ―暴力と追悼の風景」など、地理学者による書籍が地理学関係者以外にも読まれるようになってきているという傾向が認められるのです。


これは、なぜなんでしょうか?


僕には、この時代の流れが「地理学」を求めているように思えます。そして、もしかすると、「今が地理学の時代なのかもしれない!」などいう都合のいい解釈を早とちりな性格の僕はしてしまったりするわけです。


最後に、この投稿を書こうということを僕に考えさせた書籍を紹介しておきます。これも地理学者が書いた書籍の翻訳本です。

2050年の世界地図―迫りくるニュー・ノースの時代
ローレンス・C・スミス
NHK出版
売り上げランキング: 23800

こちらが原著。翻訳よりも安く購入できるみたいです。

The World in 2050: Four Forces Shaping Civilization's Northern Future
Laurence C. Smith
Plume
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