「Powerful Knowledge」論を地理教育の現場へ落とし込んだアラリック・モードのPDK5分類とその発展

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地理教育と聞くと、地名や産業、名所などの知識を覚えることを思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、現代の地理の学びはそれだけにとどまりません。地域の特色を知るだけでなく、地球全体の環境や社会のつながり、人々が暮らす場所の変化やその背景にある仕組み理解し、問題を考え、みんなで話し合い、社会に参加していく力を育てることを目指しています。

人々が世界をどう理解し、どのように議論し、行動を起こせるか——これこそが真の学びです。


英国UCLのデイビッド・ランバート(David Lambert)らが立ち上げたGeoCapabilitiesプロジェクトは、教育を”人の潜在能力(capabilities)”の開発と捉え直す革新的な試みです。この理論を地理教育の現場へ具体的に落とし込んだのが、オーストラリア・フリンダース大学のアラリック・モード(Alaric Maude)です。

本記事では、モード氏が2015年・2016年・2018年の3本の論文で体系化した”強力な学問的知識(Powerful Disciplinary Knowledge; PDK)”の5分類を振り返り、その発展の軌跡とGeoCapabilitiesとの接点をご紹介します。

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3本の論文で示されたPDKの全体像

2015年:理論の地理教育への適用

論文名:What is Powerful Knowledge
    and Can It Be Found in the Australian Geography Curriculum? 
    強力な知識とは何か、
    そしてそれはオーストラリア地理カリキュラムに見つけることができるか?

モード氏はマイケル・ヤング(Michael Young)氏の「強力な知識(Powerful Knowledge)概念」を、オーストラリア国家カリキュラム分析に投影し、PDKを5つのタイプに分解しました。理論を教育現場に翻訳した先駆的研究として注目されています。

2016年:概念の精緻化と深化

論文名:What might powerful geographical knowledge look like? 
    強力な地理学的知識はどのようなものか?

『Geography』誌に掲載された本稿では、2015年の5分類を再検討しました。PDKを「知識の特性」と「知識が生み出す能力」に分け、後者に重きを置く視点を明確化したことで、より実践的な理論へと発展させています。

2018年:実践への具体的展開

論文名:Geography and powerful knowledge: a contribution to the debate 
    地理学と強力な知識:議論への貢献

イギリスを代表する地理教育学者であるフランシス・スレーター(Frances Slater)とノーマン・グレイブス(Norman Graves)からの批判への応答として執筆された本稿では、GeoCapabilities第3フェーズで扱う「変化する諸国(Changing Nations)」単元を教材化し、5分類を授業デザインに統合する具体例を示しました。理論から実践への橋渡しとして重要な意味を持っています。

”強力な学問的知識(PDK)”5分類の発展

タイプ2015年
定義
2016年
深化
2018年
実践的応用
Type 1
新たな思考方法
世界を「場所」「空間」「環境」のメタ概念で読み解く各場所の独自性や類似プロセスの差異を思考手がかりに示す環境を題材に行動変化を議論
Type 2
分析・説明の方法
分析的概念・説明的概念・一般化で空間分布や因果を探究自然実験としての場所比較、相互結合概念の説明力を強調沿岸プロセスの一般化例で予測可能性を示し、思考の実用性を追求
Type 3
自己の知識への力
知識獲得と評価の方法を学び「どう知るか」を問う知識の権威を疑問視し、地理学的推論の理解を深める地理学的知識の構築・検証・評価法を学び、主体的批判力を養う
Type 4
社会的議論への参画
水不足・食料安全保障・災害など具体的議題で統合的思考を示す自然科学と社会科学を統合して競合意見を分析・評価する能力を提示「持続可能性」「移民政策」など公的議論を教材化し、批判的参加を経験
Type 5
世界の多様性理解
環境・民族・文化・経済の多様性を知り、地球市民意識を育む体験外の場所知識を通じて世界の相互結合性を理解インドネシア・中国・米国を比較学習し、異文化理解と問題意識を深める

GeoCapabilitiesプロジェクトとのつながり

  • 理論的基盤:GeoCapabilitiesは“人が何をできるようになるか”を問い、MaudeはPDKを「生徒にもたらす知的力」として再定義しました。人の潜在能力(capabilities)という視点を地理教育に結実させました。
  • 教師育成:GeoCapabilitiesのオンラインモジュールで教師はPDKを学び、Maudeの5分類はカリキュラム設計の具体ツールとして活用できるようになりました。
  • 国際実践:第3フェーズで実践検証された「Changing Nations」単元は、オランダ・ベルギーなど他国でも導入され、多様な文脈での適用が進みました。

結びにかえて

アラリック・モード(Alaric Maude)の3本の論文は、地理教育における強力な学問的知識(Powerful Disciplinary Knowledge; PDK)を、理論的に明確に定義するとともに、具体的な授業プランへと落とし込む過程を一貫して示した重要な学術的成果です。特に、単に「知る」だけでなく、その知識を「使い」「考え」「議論する」力として育む教育のあり方を提案しています。国際的なGeoCapabilitiesプロジェクトと連携したこの取り組みは、地理教育の方法論を深化させ、より実践的で生徒の主体的な学びを促す方向へと進化させています。

このように、PDKに基づく地理教育は、単なる知識の習得を超えて、未来を担う若者が多様な問題に対して批判的に考え、自らの意思で行動できる力を伸ばすための鍵となるものです。

また、日本でも「知る」から「使う」「考える」「議論する」への転換は着実に進んでおり、アラリック・モードのPDKやGeoCapabilitiesの理念は、これからの日本の地理教育・社会科教育においても重要な道しるべでしょう。

今後は、これらの理論を日本独自の教育実情や地域社会の課題意識と結びつけて議論していくことがさらに期待されます。