「生きる力」を具体化する10の基準──ヌスバウムの中心的能力とは?【ケイパビリティ・アプローチ再入門】

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前回の記事(ケイパビリティ・アプローチとは?)では、「豊かさ」や「幸せ」の新しい物差しとして広がるケイパビリティ・アプローチの基本理念や、アマルティア・センとマーサ・ヌスバウムによる理論の概要を紹介しました。

今回は、その続編として、ヌスバウムが提案した「10の中心的能力」を中心に解説します。

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ファンクショニングとケイパビリティの概念

従来の「豊かさ」は、所得やGDPのような経済指標で測られてきました。しかし、本当に人間らしい生活とは「何を持っているか」だけでは決まりません。センは、「ファンクショニング(functionings)」と「ケイパビリティ(capabilities)」という考え方を通じて、人が「実際に何をできるか」「何を選ぶ自由があるか」を重視しました。

  • ファンクショニング:健康である、教育を受ける、移動するなど、実際に達成している状態や行為を指します。
  • ケイパビリティ:その人が選択しうるファンクショニングの範囲、すなわち「何ができるか」という可能性を表します。

これらの概念は、「同じ資源を持っていても、実現できる生活の選択肢は人それぞれ違う」という現実に即したものです。

ヌスバウムによる「10の中心的能力」

センは文化や個人の多様性への配慮から、能力のリスト化に慎重でした。しかし、ヌスバウムは「最低限保障すべき普遍的な基準」として、10の中心的能力(10 Central Capabilities)を提示しました。これは、政策や教育の現場で具体的な指針となるものです。

能力の名称内容の説明
1. 生命人間らしい長さと質の人生を送ることができる能力です。
2. 身体的健康健康の保持、適切な栄養、十分な住まい、生殖健康を含めた心身の健康状態を維持できる能力です。
3. 身体的統合性自由に安全に移動し、性暴力や家庭内暴力などから保護されること、生殖に関する自己決定権が保障される能力です。
4. 感覚・想像力・思考感覚、思考、想像力、教育、芸術・文化活動、自己表現や快楽の経験が可能である力、苦痛や抑圧から遠ざけられる自由です。
5. 感情他者との愛着や信頼、感謝や正当な怒りなどの豊かな感情を経験し、自分の感情を発達させられる能力です。不安や恐怖から守られることも含みます。
6. 実践的理性「何を善いと考えるか」を主体的に省察し、自分なりの人生設計ができる能力です。信仰や良心の自由も含まれます。
7. 交わり他者と尊厳をもって共に生き、多様な社会的交流を行い、差別を受けず自尊心を持ち続けられる能力です。
8. 他の種との共生動植物や自然環境を尊重し、これらと調和して生活し、共生できることです。
9. 余暇遊び、レクリエーション、創造的活動などを自由に楽しめる能力です。
10. 環境に対する主体的統制政治的意思決定への参加、意見表明の自由、財産所有や平等な雇用機会の確保など、自分の環境(社会・経済)を主体的にコントロールできる力です。

センとヌスバウムの違いと共通点

  • センは、能力の重要性は社会ごとの対話によって決定されるべきと主張し、多様性や文脈への適応を重視しました。
  • ヌスバウムは、最低限保障すべき普遍的な基準(10の中心的能力)を定めることで、政府や社会の具体的な行動指針となることを目指しました。

両者とも、人間らしい生活の本質は「自由と可能性」にあるという点で共通しています。

社会の実践や教育への活用

ヌスバウムの「10の中心的能力」は、福祉政策や教育、国際的な人権保障など多様な現場で着実に広がっています。この枠組みは、誰もが自分らしく社会参加し、尊厳ある生活を実現できる社会づくりの土台となり得ます。

まとめ

ケイパビリティ・アプローチの理解には、「ファンクショニング」と「ケイパビリティ」という核心的な概念と、ヌスバウムが提示した「10の中心的能力」の実践的な枠組みとをともに押さえることが大切です。この理論は、今後も人間らしい社会の条件を考えるうえで大切な視座を与えてくれるはずです。


なお、この記事はヌスバウムが2000年の単著『Women and Human Development: The Capabilities Approach』の中で提唱した後、2011年に改訂版『Creating Capabilities: The Human Development Approach』で精緻化した内容をもとにして簡潔にまとめたものです。より詳しい比較や歴史的な背景についても別記事で紹介できればいいのですが、カテゴリー「地理トーク」からだんだん離れていってしまいそうなので・・・