ここ数年、TVを視聴している時間が短くなってきていることを感じています。その分、新聞を読んでいると言えればいいのですが、残念ながらそうでもなく、休日に1週間分をまとめて読んだりしています。
そんな中、我が家の購読紙である朝日新聞「ニッポン人・脈・記」という連載記事のテーマが「生きること」になりました。そして、『それでも人生にイエスという』という言葉が、『夜と霧』で知られているヴィクトール・エミール・フランクルの著書の邦訳タイトルだったことを知りました。
私は特に悩みが深い人生を歩んでいる訳ではありませんが、人間らしく多少の悩むことはあります。そんな時は黙想し聖句によって励ましを得ることにしています。
ありがたいことに、この朝日新聞における「生きること」の連載記事はバイブルとともに、現在の私に励ましを与えるものになっています。
4月28日付けの朝日新聞12版▲では「生きること」シリーズは8回目の連載でした。この記事には二人の教員が登場して、「教育の目的を一言でいうと?」という問いに答えていました。
中学校教員Aさん:「人間にすること」
高校教員 Bさん:「この世は生きるに値すると、伝えてあげること」
私が驚いたのは、かつて自分が同僚に同じ質問をされた時に答えたことと同じことをこの二人の教員が答えていたことです。
私が中学校教員をしていた時にはBさんように答え、その後、小学校教員になった時にはAさんのように答えていたのです。「人間にすること」という表現はどこか傲慢な感じがしますが、一言で表現するには、これしかないと思ったのでした。
自分と同じ考えの人がいるということを知ることは、やはり勇気を与えられるものですね・・・
そして、記事の中には私に力を与えてくれる言葉や子ども達に伝えたいと思う言葉がたくさん並んでいました。
「どんな時もどんな人にも生きる意味があり、ほかのだれでもないあなたを待っている人や務めがある」
「大きな業績をあげなくても『良心』に従った生き方をして幸せになってほしい」
「教師は生徒に意味を与えたり教えたりすることはできない。ただ、生きた実例になることができるだけ。普遍的な意味を見つけるのは『良心』であり、己の良心に耳を傾ける力を磨くことが教育の使命である」
「ヒトラーにも良心のアンテナは備わっていたと考えられる」