新聞の社説

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 教育に関する朝日新聞の社説を読みました。学校関係以外の方は、この記事をどのように読み取られるのでしょうか。
 いつのまにか企業の論理が学校に持ち込まれるようになり、学校の中で、教育の本質について語り合うことも昔に比べるとかなり少なくなりました。また、自主的な研修も制限されるようになり、部活動や会議のために、毎日の授業に関する教材研究をする時間も十分にとれない学校も増えてきています。
 だから、毎年同じような授業を繰り返したり、恣意的で説明中心の授業しかしないような教員が少なくならないのかもしれません。
 教師がもう少し授業に集中したり、自分の感性をみがくことができる環境(状況)をつくらければ、「教師の危機」はますます深刻化するように思います。教師は決して特別な能力を持った存在ではなく、あくまでも「人間」なんですから・・・
以下は新聞記事からの引用です。

どうした、先生―ゆとり取り戻せる改革を
 校長先生が頭を下げるのを、最近ニュースでよく見る。中間試験で「校長を殺したのはだれ?」と出題した高校教師。道徳の授業で「脅迫文」を作らせていた小学校教師……。
 小中高を合わせると、日本には100万人の先生がいる。問題を起こすのはほんの一握りだ。中には、もとから適性がない人もいただろう。
 だが、いくつものデータから浮かびあがるのは、子どもの心を傷つけたり常識を外れたりするような行動を、同僚が戒めたり、助言したりできぬほどに疲れきった教師集団の姿だ。
 職員室を取材に訪ねると、ネットカフェのようだと感じることがある。日が暮れた後も、ポッ、ポッと明かりがともったパソコン画面に、先生たちが黙々と向かう。教育委員会への報告づくりや、給食費の管理といった事務作業に追われどおしなのだ。
 文部科学省の2006年度の調査では、1カ月あたりの残業は42時間と、40年前の5倍に増えた。子どものトラブルや保護者の注文、外国人の子の増加。先生たちの仕事は膨らむ一方なのに、財政難で教員定数は抑えられている。頭数だけでも増やそうと、自治体は安い給料で済む非正規教員の採用に動いている。
 心を病んでの休職は増え続け、希望を失う先生もいる。公立小中高で毎年1万2千人以上が中途退職し、1年以内に教壇を去った新人先生は昨年度、過去最多の317人だった。
 これでは、先生をめざす優秀な若者が減るのも無理はない。都市部では採用試験の倍率低下が深刻だ。教育をとりまく様々な問題の中でも、「教師の危機」はあまりに深刻ではないか。
 余裕とともに失われているのは、先生同士が切磋琢磨(せっさたくま)し、互いに高め合う「教師文化」だと、ベテラン先生はいう。先輩が経験を語り、若手は相談を持ちかける。共に授業研究をし、工夫する。かつては、そんな中で問題を抱えた先生も見つけられたという。ところが今や、職員室のコミュニケーションすら乏しくなっている。
 問題を起こした当人への適切な措置とともに、研修体制や先生間の連携を見直す。そのうえで、あらためて学校を、先生自身が学び合い、育つことができる場にしてゆこう。地域の人の知恵や力も、もっと借りたらよい。
 「先生の数と質」の改善を急ぐべきだ。だが文科省が計画する少人数学級実現には、財務省が難色を示す。教員の養成・採用・研修をどう変えるかの議論も、時間がかかっている。問題教師排除の発想で始められた免許更新制の先行きは、不透明なままだ。
 先生を批判し、追いつめるだけでは希望は見えてこない。子どものためにこそ、先生たちのゆとりを取り戻せる改革を応援したい。

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