一時期継続して書いていた日記ですが、いつも間にか書けなくなってしまっていました。
そうなった理由を思い出すこともできないのですが、日記を書くことよりも優先して取り組むことが新たにできた訳でもありません。
ただ1日の中で日記を書くという時間がなくなって、その時間分の非生産的な時間(余裕を味わえる時間)が増えただけです。
そうした非生産的なように感じる時間はできれば無くしていきたいものですが、齢を重ねる中で、人生には無駄に思えるような時間もある程度はあっていいものだと考えるようにもなってきていることも事実です。
時間を大切にしたい
そんな私がなぜまた日記を書こうと考えてしまったのか。大袈裟に言うと、それは「時間を大切にして生きたい」と考えるようになったことが影響しています。
齢を重ねるという表現のとおり近頃は身体的な「弱々しさ」が明らかになってきているように感じます。気持ちだけはいつまでも若いつもりで生きていたのですが、休日が続き日付も確認しないで生活していたりすると、何をして過ごしたかをきちんと思い出せなくなる時が増えてきたように思えるのです。
仕事上のスケジュールはタイトですが、日々取り組んでいることは常に明確です。そのため、日報を確認しなくても休日みたいに何をして過ごしたかを思い出す苦労はありません。
しかし、トラブル回避を考えるあまり毎日の業務は単調になりがちです(その方が平和でありがたいのですが・・・)。そのため、たとえ充実した時間があったとしても、そのことについてあまり考えたりもしないで時間が過ぎてしまうことも少なくありません(時々もったいないなぁと思います)。
そして、そのうちにせっかく体験できた仕事上の充実感も忘れしまうのです。
休日の生活と同じように・・・
形式にこだわらず「書く」
こうやって記事を書いてる時も、時間は過ぎ去っていきます。
でも、その過ぎ去る時間を大切にしていくことは考え方次第でできるのはないかと思うのです。本来的な意味での「刹那主義」的な生き方ができたら幸せです。
そのための第一歩としても、日々の生活の断片を記録していくことは、とても有意義なことだと考えました。
デジタルツールの進歩もあり、気持ちさえあれば誰でもライフログが残せる時代になりました。しかし、残念ながらそのログの結果をすべて見直しながら生きていくのは誰でもできることではありません。
おそらく多くの人はライフログ作成が目的となり、断片的にでも活用ができればそれで満足してしまっているのではないかと推測しています。
そんなことを考えているので、私は日記についても形式や内容にこだわることよりも、とにかく継続していくことが大切なのではないかと考えています。
再開にあたり、Day Oneというアプリを使うことにしたのも、日記を続けて書いていくことを優先した結果です。また、そのための方法として、リマインダーで毎日決まった時刻にアラートが出るようした上で、Day Oneに音声入力していくことにしたのも続けるためです。
今のところは、時系列的に出来事と思いを入力したものにしていますが、将来的には項目を決めて「4行日記」みたいになってもいいかなぁとも考えています。もちろん、途中で書き方が変化してもいいと思っています。
形式にもあまりこだわるつもりがないからです。とにかく日々の断片(事実と思い)を継続して記録していくだけです・・・
これまでDay Oneに書いていたジャーナル数6874ジャーナルを上回ることが目標です。
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