白雪のような輝きが見事な長井市「白つつじ公園」

白雪のような輝きが見事な長井市「白つつじ公園」

地方紙を見ていたら山形県長井市の白つつじ公園が見頃を迎えているという記事が載っていました。

今年は大雪の影響で例年より開花が数日遅れているそうで、日当たりの良い場所はほぼ満開になっているものの、園全体としては五分咲きくらいとも書かれてありました。

天気も良かった日に近くに行ったので、ちょっと足を延ばして「白つつじ公園」を見てきました。

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白つつじ公園の歴史

白つつじ公園の正式名称は「松ヶ池公園」です。5月中旬から下旬にかけて6haほどある園内に琉球白ツツジが3000株ほど咲き、満開時には一面に雪が降り積もったかのような景色を見せてくれます。

白つつじ公園の歴史を調べてみたら、こんな記述がありました。

1785年(天明3年)花作部落の豪族七兵衛は、飢饉により飢えに苦しむ農民救済のため、敷地内に築山を作り白つつじを植えさせた。その給金として米を支給し、多くの人々の生活を潤した。後年、開花時には一面雪のように白く素晴らしい花で被われ、「七兵衛つつじ」と呼ばれ、近郷の人々も昼食持参で訪れ、日頃の疲れを癒す遊山場として親しまれた。


1894年(明治27年) -小出村あら町に皇大神社(こうたいじんじゃ)と、凶作年の備倉があり、その南は広い野原で草刈場になっており、人々はここを小出公園と呼んでいた。


1896年(明治29年) – 横山孫助が、以前から小出区に名所をと考え、古くから有名であった「七兵衛つつじ」の美しい眺めを小出公園の皇大神社のある中央にと考えた。小出公園の拡張工事が始められ、公園内には池が掘られ、中島と池の左側周辺には松が植えられた。周辺の境界には小高い土手が築かれ、仙台の釈迦堂から買い求めた桜の木と鈴木七兵衛を始めとする町内有志が寄付、または譲渡した白つつじが植えられ、名称を「松ヶ池公園」とした。これが「白つつじ公園」の始まりである。


1918年 – 1910年(明治41年 – 43年) – 公園拡張整備が行われる。水田を買収し、公園の規模を広くしたが、それに相応するつつじの成木を買い集めることは極めて困難なことだった。横山孫助・梅津源吉は公園に「七兵衛つつじ」を全部譲渡してもらえないかと誠意を尽くし、情熱と根気での交渉の末ついに説得に成功した。


1982年 – 1983年(昭和57年 – 58年) – 都市計画公園事業として、総工費5億円をかけ、旧公園の改造と少年野球場・市民文化会館・武道館・市民広場に駐車場の敷地を増やし、現在の面積6.3hとなった。
1988年 – 1990年(平成元年 – 2年) – オアシスタウン構想として、音楽と噴水の「松ヶ池」と滝の流れる「ひょうたん池」を結ぶ「せせらぎ」が整備された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/松ヶ池公園

白ツツジの古木

園内中心部には樹齢750年と伝わる「七兵衛つつじ」と呼ばれる古木の白つつじ群もあり、27株が市の天然記念物に指定されているそうです。

つつじ公園を造る時の構想の原点は花作の豪農 鈴木七兵衛の築山一面に
植えられた白一色の琉球つつじの庭園の美しさであった。

明治29年の白つつじ公園の建造と、42年の拡張・整備の二度にわたり、
横山孫助と梅津源吉等が「小出区の発展と町民の憩いの場造り」のために
協力をということで、七兵衛つつじの譲渡を誠意をこめて説得し移植された
のが、現在中央に植えられている白つつじの古木群である。

この白つつじは、天明3年(1783年)の飢饉の時、窮民救済事業の1つと
して成木を、築山を造って植えさせたという話だから、700有余年の古木で
あろう。枝張りのよい大樹に真白な花をすきまなく開花させた時は、白雪
のような輝き見事である。

http://samidare.jp/nagai_ck/m/?p=log&l=433787
園内にある史跡案内板

交通アクセス

ツツジの名所は全国各地にありますが、白ツツジだけがこんなに咲いている場所は珍しいと思います。5月中旬から下旬にかけての開花時期に一度訪ねてはいかがですか。

山形鉄道 フラワー長井線 長井駅より徒歩15分
山形蔵王ICから国道348号を利用、車で約60分
福島飯坂ICから国道13号を利用、車で約90分

https://ja.wikipedia.org/wiki/松ヶ池公園