待ち合わせの時間まで、書店で時間をつぶしていました。その時、なんとなく手に取った本が『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』というタイトルの本。著者は、佐々木典士氏です。
このブログにある記事をいくつか読んでいただければわかりますが、私は佐々木氏のようにミニマリストを目指しているわけではありませんでした。
でも、本を手に取って眺めているうちに、その中で紹介されているミニマリストの方々のライフスタイルが気になり、購入してしまいました。
読み始めると、単なる断捨離の本ではなく(もちろん、その方法についても書かれていました)、自分の価値観の問い直しを促すような記述が多いことに気づきました。
僕にとっては、久々に巡り合った好著でしたので、簡単に内容を紹介したいと思います。
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ミニマリストという生き方
ミニマリスト(最小限主義者)という生き方は、まだ広く知られている状況にはなっていないいのではないかと思います。
ミニマリストとは、簡単に言うと、持ちモノを自分に必要な最小限にするという生き方をしている人のことです。
本書では、「自分に必要な最小限にすること」と「大事なもののためにそれ以外を減らすこと」をミニマリズムと呼び、そうする人のことを「ミニマリスト」と呼んでいます。
先にも書いたように、僕は別にミニマリストになろうと思っているわけではありません。
しかし、この本を呼んでいるうちに、ミニマリストのような生き方を目指すことによって、複雑化した現代の中でも、恵みを感じながら生きていくことができるのではないかと考えるようになりました。
人間は5万年前のハードウェア
まず、この本を呼んで印象的だったのは、「『人間』は5万年前のハードウェア」という表現です。
言われてみれば、当たり前のことなのですが、この言葉に出会うまでほとんど考えたことがありませんでした。
僕たち「人間」のハードウェアは5万年前から進化していないのに、それに詰め込まれる情報やモノは爆発的に増えてきているという事実の存在に気づくことは、あまり楽しいことではありません。
しかし、考えてみると、人間社会の中で大切なことが見えづらくなってきていたり、本当に話し合ったり考えたりしなくてはいけないことが曖昧になっていたりするのも、こうしたことが背景にあるような気がします。
現代社会の情報は、「5万年前のハードウェア」が処理できる限界量をすでに超えてしまっているのかもしれません。
そうでないことを信じたいのですが、国内外の様々な問題に関する議論を聞いていると、腑に落ちることも少なくありません。
「慣れ」 から「飽き」の問題
もう一つ印象に残ったのは、「慣れ」の問題に関する話です。 その話の中で、神経ネットワークの仕組みが語られていました。
興味深かったのは、「人が刺激を刺激として、神経ネットワークで検出するためには『差』が必要」ということです。
人は刺激に「慣れ」、やがて「飽き」てしまいます。その「慣れ」から「飽き」の問題を回避するには、神経ネットワークが検出できる「差」を作り出し、刺激を与えなければならないのです。
そして、「差」を作り出すには、刺激をなくすか、変えるか、増やすか、大きくするしかないと著者は書いています。
さらに、著者は、テニスプレーヤーのアンドレ・アガシと心理学者タル・ベン・シァハーのエピソードをもとにしながら、人は大きな喜びすら、すぐに慣れてしまうことを紹介しています。
タル・ベン・シァハーの場合、長年の願いが叶った喜びはなんと3時間しか続かなかったそうです。 喜びが長く続かないことは体験的に知っていましたが、まさかここまでとは思いませんでした。
僕にとっては驚くべき話でした。
感謝だけが「飽き」に対抗できる
本書では、モノを最小限に減らしたことで、著者自身が変化していったという12のことが紹介されています。
・時間ができる
・生活が楽しめる
・自由と解放感を感じられる
・人と比べなくなる
・人の目線を恐れなくなる
・行動的になれる
・集中力が高まる。自己に徹する
・節約だってできる。エコにもなる
・健康になれる。安全である
・人との関係が変わる
・今、ここを味わえる
・感謝できる
最後の「感謝できる」に関する記述では、アルベルト・アインシュタインの言葉は引用されています。この言葉も印象に残っています。
人生にはたった2つの生き方があるだけだ。 ひとつは奇跡などないかのような生き方 もうひとつは、まるですべてが、 奇跡であるかのような生き方だ。
また、「最小限」に減らしたことで得られたポジティブな側面だけでなく、減らしてことで見えてきた「幸せ」について語られているのが本書の魅力になっています。
そこで気づいたことは、宗教上の教えとのつながりです。
本書でも、「ミニマリストは、瞑想や座禅、ヨガを習慣にしている人が多い」と書いてあったり、禅の「五観の偈(ごかんのげ)」のことが紹介されていたりしますが、「今」を「感謝」し続ける、すべての「今」を「肯定的に見続ける」というのは、キリスト教(聖書)の教えにもつながっているということです。
コリントの信徒への手紙 二 6章1~10節
わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。
今や、恵みの時、今こそ、救いの日。わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。
大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。
左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。
わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。
著者は、幸せに「なる」ことはできず、今この瞬間に「感じる」しかないものだと考えています。
その指摘も、聖句にもつながるように感じました。
ミニマリストを目指すかどうかは関係なく、複雑な現代社会に生きる多くの人に一読をおすすめしたい本です。
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